「年金に係る受給権の救済について」の件(1)

 2月9日(金)に母に「退職共済年金に係る受給権消滅の救済について」の封書が届きました。

 まずは、これまでの経緯をまとめます。

 2013年に父が死去。母が一人暮らしになりました。

 父は厚生年金を受給。母は扶養家族でしたので、父の死後の手続きに年金事務所に出向きました。

 年金事務所でわかったことは、母の基礎年金番号がないこと。法律が変わり、全員に基礎年金番号が交付されることになったのを、両親は知りませんでした。まず、母の基礎年金番号を取得する手続き。そして、父の遺族年金を受給する手続き。

  父の生前から、私は、「母は、年金もらえないのかなあ。公立病院でしばらく働き、子供たちが生まれてからは、パートで働いていたのに。」と思っていました。両親にきいても、「もらえないんだ、」の一言で終わり。いい機会なので、年金事務所で聞いてみました。名前と生年月日で照合すると、某生命保険会社で、いわゆる生保レディとして働いていたことが判明。請求の手続きをしました。公立病院の方は、共済組合だから、共済組合の方にきいてくれとのこと。1度共済組合の方に聞きました。それが2013年。

 母が、2017年に倒れ、母の介護をするかたわら、もう一度、3月に問い合わせ。氏名、生年月日、旧姓、働いていた大雑把な年を伝え、後で返答するという回答。3月に問い合わせ、返答が来たのが8月!!!!

 回答の指示の通り、再び、年金事務所に出向き、年金加入期間確認通知書(合算用)をもらう手続き。退職共済年金決定請求書を書きました。請求者の組合員期間を記入する欄は未記入でいいとのこと。煩雑なので配慮してくれたのかもしれないが、母の組合員期間がこちらとしても知りたかった。電話でもやりとりしたが、10代後半から働いたので、最低の年金請求期間の10年を満たしたということでした。人も電話では、あまり詳しいことを話してくれなくて、電話の人もよくわかってないのかなという印象。

 今回受け取った通知では、平成24年8月支給期分から平成29年12月支給期分までを平成30年2月15日に支給するというもの。

 昨年請求した時点で、母は89歳。60歳から受給できる年金は、29年分。年金請求権の時効は、5年。24年分の年金を失ってしまった。一番悲しいことは、母のベッドサイドで、「お母さんの年金もらえることになったよ。」と報告し、「うんうん」とうなづいていたけれど、本当にはわかっていないこと。

 「お母さんの年金なんだよ。」

 もう一つ、年金事務所で「共済組合の方から5年分の振り込みがありますが、厚生年金の遺族年金で払いすぎていた額を、厚生年金の方へ払ってもらう必要が出てきます。」と聞きました。共済組合からの通知には、何も記載がなく、不親切だなと感じました。年金事務所からの払って下さいという通知待ちです。

 父は、会社に定年まで勤め、事務的なことは、きちんとできる人でした。だから、年金のことは、ちゃんとやってると思っていたので、本当に驚きでした。年金は自分が請求する仕組みになっています。年金生活者になってかなり、時間がたってから制度が変わったという要因もあります。

 おやごさんの年金をぜひチェックしてください。心から思います。

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 受給権発生年月日が昭和62年のものと、平成4年のもの2枚来ました。

 

 

訪問入浴後のひじの腫れ

2月9日(金)の訪問入浴の後、夕方母のひじの腫れに気が付きました。土曜日にヘルパーさんにも相談して、少しずつむくみがきているのに改めて気が付きました。

それでも、ひじ周辺にまるくむくみがきているのは、不自然なので、土曜日の昼に事業所に電話しました。

「訪問入浴の日の夕方に、母のひじのはれに気が付いたんですが、入浴時になにかお気づきのことはなかったですか?」という趣旨のことを言いました。

するとあちらは、大変恐縮して、「看護師の記録では、前腕に軽い浮腫がある、となってますが、大変申し訳ありませんでした。」と謝罪してくださいました。もしかすると、下着と寝間着がまくり上げられたような状態が長く続いたのでそうなった可能性もあると伝えました。

 その後夕方訪問入浴部署の責任者の方から電話があり、大変申し訳ないとのことでした。「また来週の訪問入浴の時、よく見てください。」と伝えました。

 日曜日の午後になってようやく腫れが収まってきました。

 やはり、シャツの圧迫が原因だったと思います。

高齢者は赤ん坊と同じで、苦痛を伝えられないから、本当に気をつけないといけないと思いました。

 土曜日は、母と一緒に少しオリンピックを見ました。「冬のオリンピックだって」というと、「見ないといけないね」と言って、ベッドでテレビの音声を聞いていました。にこやかな表情で、目を閉じて、いつのまにか、うつらうつら。「お母さん、お父さんがスポーツ観戦が好きだから、いつもお付き合いしてみてたよね。自分はホントはそんなに興味ないのに。」と心の中でつぶやきました。

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母といっしょに観戦するのは、これが最後のオリンピックになるでしょう。1分1秒を楽しんですごしたいと思います。

昨日初めての訪問入浴・・・

 昨日初めて、訪問入浴を利用しました。

 1月になり、寒さか厳しくなったころから、デイサービスから帰ると、足先が冷たくなり、前回利用後は、痰も増え、風邪気味に。12月から、ストレッチャーに乗り、デイサービスに行くのは、いくら毛布でくるんでも寒いのではと思っていました。訪問入浴がいいかと思ったけど、踏ん切りがつかず。3月職場復帰のため、いろいろとケアマネさんに相談し、また別の相談するのは面倒かけて申し訳ないという気持ちがありましたね。

 最強寒波が来て、訪問入浴を申し込む決心がつきました。

 昨日は、母にとってほぼ10日ぶりの入浴。

3人(内看護師1人)できて、手早く設営します。畳の上にシートを2枚。浴槽は2分割されて組み立て式です。

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ベッドの上で、支度をし、母の上にバスタオルをかけます。

2人で、母を同じ方向からお姫様だっこをし、浴槽の上に連れていきます。

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上の写真のような担架様のものの上に乗せて、頭から洗っていきます。

母は、首が弱く、スタッフに支えてもらいながら洗ってもらいます。初めてなので、「首が弱いので支えてください」と伝えました。

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外の車から、ホースを引くので、障子の隙間にかけるカーテンも持参です。

女性3人だったので、とてもやさしく洗ってもらうことができました。

その後またお姫様だっこで、ベッドに戻り、下着寝間着を着せてもらいます。

入浴後の体温、血圧も異常なく無事滞りなく終わりました。

寒い思いをして、デイサービスに行くより、母の体の負担も少なくて、もう少し早く訪問入浴に切り替えればよかったと実感。

とそこまではよかったのですが、夕方の栄養が終わって、いつものように「どこか痛いところなあい?」と聞くと、「ひじが痛い」と。

みたら、下着と寝間着のそでが、ひじの曲がるちょっと上で、しめつけていて、ひじがはれています。はれというかぶよぶよして、水分が溜まってむくんでいる感じ。

こんなことは初めてです。優しくさすり、少し、むくみがとれたかな。1時間弱さすりました。

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上の写真ではあまりわかりませんが、けっこう小さいメロンくらい腫れていました。

寝間着を着せた後、きつくないか、苦しくないか確認すれば起こらないことです。

ヘルパーさんでは、いままでこんなことはありません。

翌日は、訪問入浴の事業所に連絡しようと昨夜は思っていました。

今日の午前のヘルパーさんに話をすると、腰の周りとか、足とかむくんでいませんか?と聞かれました。

確かに、腰や足もむくみが少しあります。ひじのむくみも少しちいさくなりましたが、まだ目でわかるほどです。

ああ、そういうことなんだな、ほんとに終末期なんだな、と思いました。

けれど、痛みをかんじるほど締め付けたまま3時間半たったせいもあると思います。

迷いましたが、やはり事業所に連絡しようと思います。結果はまたのちほど。

療養病棟から連絡がありました。

昨日、申し込んでおいた療養病棟の相談員の方から連絡がありました。

「来週の13日に入院することはできますか?」と。

あまりにびっくりして、いったん「行けます」と答えましたが、少し考えさせてもらうことにしました。

昨日の午後連絡をし、「19日からの週に入院」ということになりました。

私が3月1日から介護休暇がおわり、復職することを伝えてあったので、考慮してもらえたのかなと思います。

でも、療養病棟に入院してもらえば、家で一緒に時間を過ごすことはできないと思うと涙がでました。

子供の教育費のためにも、離職はできないと思い申し込んだので、めそめそしていられません。

日本の健康保険制度、介護保険制度は素晴らしいです。

でも複雑です。改めて療養病棟について調べてみました。知らないことがたくさんありました。

明日から制度のこと記事にしていきたいと思います。

このところ毎日午後熱がでます

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春よ来い

 午後3時頃に、37度台後半の熱が出ました。ブログ用に覚え書きを見返してみたら、11月から、時々、37度台後半の熱が出ていました(;^_^A 

12月から、お医者さんに解熱鎮痛剤カロナールアセトアミノフェン)を処方してもらっています。2週間くらい飲み、しばらくしてまた熱があり、薬をもらいにいきました。これで4回もらいにいったかな。

 いつもすぐに下がるのに、わきの下にケーキ屋からもらった保冷剤をいれてもなかなか下がらず、9時にやっと解熱。やはり、この最強寒波が影響して風邪をひいてしまったか。わが地方は、最高気温2度です。

 2月の気候は体力が衰えたものにはきつい。

 痰の吸引も朝食前後、昼食前後、夕食前後、寝る前と7回。新記録だ。

 ベッドでうとうとしてる母とうたコンを見た。母に聞こえてるかどうかさだかでないけど。母だって病院にいるよりずっとリラックスできると思う。この時間を大事にしたい。

今日の母は頭がクリア・・・

今朝、いつものように母のお世話をしていると

「○○○○?」と回らぬ舌で聞かれました。聞き返すと

「今日休み?」と聞いています。

「ううん、休みじゃないよ。」

「日曜日?」

「日曜日じゃないけど、休みなの。」と言うとにっこり。

しばらく私は作業を続けます。続けながら、鍼灸師の80歳の方に、「お母さんの足さすってやれ。さすりながら、あんたがもんでるんだよ、とお母さんに言うんだよ。そうすれば、俺がもむよりお母さんにとっては、なんぼかきくんだ。」と言われたことを思い出しました。

2月に母が入院してから、なんとか都合をつけてできるだけ母のそばにいるようにしてきました。でも休みなのか?ときかれたことはなかったので、介護休暇を母のために取得したことを話していませんでした。なので

「家族を看護する休暇があるの。お母さんを看護するために休んでるんだよ。」と言いました。

母がうれしそうににっこりして、「いい時代らね」ともごもご言ったような気がしました。

いつもより、頭がクリアだなあ、うれしいなあとおもっていたら、ほどなくして、

「ばあちゃんいまどこにいる?」と言います。

「ばあちゃんて○○のばあちゃん?」

「うん」と言います。母の母のことです。90歳の母の母ですから、40年以上前に他界しています。

とても真剣な目をして、

「ばーちゃんどこにいる?」と再度聞いてきます。

「わからない。××にいるんじゃね?××に行きたい?」と問うてみます。××は母の実家があった場所です。

「行きたくない」と答えます。

うそです。夕方になると××に帰る気満々になるのを私は知っています。

でも、行きたいといわれなかったので内心ほっとします。

母の頭はクリアになったり、80年前に戻ったりしています。

 

認知症の両親を介護して1

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介護日記を開始したいと思います。

伯母 大正8年生まれ アルツハイマー認知症

父  大正9年生まれ アルツハイマー型と脳血管性混合型の認知症

伯母と父は亡くなりましたが、現在母(アルツハイマー型と脳血管性混合型)の介護中です。

伯母、父、母の認知症の進行をまとめていきたいと思います。

介護中は目の前のことで精一杯で、記録を残すのは難しいと父の時に思いました。今もどんなふうにすすんでいったっけと心もとないので、メモ等見返しながら書いていきたいです。

同じアルツハイマー型でも3人とも、それぞれ症状が異なりました。けれどだんだんと体が動かなくなるのは同じです。でもその先は?アルツハイマーのご家族を抱えている方にも参考になれば幸いです。

写真は母がデイサービスに出かけた時の、ベッドの写真です。