胃ろうにする決断

 母は、2017年7月20日(木)に、夕方5時に39度の熱を出し、救急外来を受診し、重症の肺炎と診断され、入院しました。6月末から、頻繁に、37度台の熱があり、2回ほど、受診しました。その都度血液検査の結果異常なしで、帰宅しました。

 今回は、夕方になり、母本人が「どうも具合が悪いから、」と言い出し、医者に行きたがりました。診断は誤嚥性肺炎ですから、その日に誤嚥したのかもしれません。

 救急の担当医からは、「高齢なので何があるかわかりません。心臓マッサージ、気管切開の希望はどうされますか。」と聞かれました。苦しい延命処置は、しないと私は決めていたので、お断りしました。

 点滴のおかげで、熱は下がり、肺炎も抑えられました。

 24日(月)から嚥下のチェックのために、1日1回看護師がゼリーを食べさせてみるが、むせてしまいました。1口食べられればいい方。

 入院前から、嚥下が悪く、お薬はお薬ゼリーで服薬、みそ汁にもトロミをつけていました。おかゆは好まなくなり、市販の嚥下困難の人専用レトルトを食べていました。

 このままでは、誤嚥をまた引き起こしてしまうと思いました。また父も肺炎で、苦しい思いをしながら、亡くなったこともあり、私の方から、主治医に胃ろうをお願いしました。

 ネットで、嚥下リハビリについて調べ、車で40分ほどの距離の病院が嚥下リハビリをしていると知り、電話をかけましたが、転院は、主治医からの紹介状がないとだめとやんわり断られました。入院している病院の看護支援センターの相談員の方にも相談しましたが、転院はできず、嚥下検査のための紹介状は書いてくれるということでした。

 父は肺炎で2度入院しました。2度目の入院では、2週間以上絶食が続き、その間にどんどん体力がおちていき、口から食べる練習を始めた時には、もう食べる能力が失われていました。そして、中心静脈からの栄養点滴を提案されました。その後さまざまなことがあり、結局亡くなったわけですが、悔いることはたくさんありました。

 点滴で栄養補給するようになれば、もう家には帰れない、もう一度家に連れて帰りたかったことも、胃ろうをお願いした理由です。

 7月29日(土)に主治医からの病状説明。「経口摂取困難。栄養確保が必要。何もしなければ、余命3週間。胃ろうをしても余命2~3年でしょう。」とのことでした。余命3週間というのは、点滴で栄養を補給しない場合のことだろうと、心の中で思ったけど、衝撃的。夫は、胃ろうにはあまり積極的ではなかったけれど、「余命3週間は・・・」と言って消極的に賛成してくれました。

 8月初めに胃ろうを正式にお願いし、8月15日に胃ろうの処置をしました。外科医の先生の関係で遅くなりました。日取りが遅くてがっかりしたことをおぼえています。

 胃ろうの手術後2週間で退院とのことでしたが、けっきょく9月16日(土)に退院しました。

 胃ろうのくわしいことは、また後日。胃ろうにしてよかったのか、もじっくり考えていつか書きます。